【27選】縄文時代にタイムスリップ!?日本にある縄文遺跡スポット【2023年最新版】

縄文時代は、日本の古代史における驚くべき時代で、約1万4,000年以上にわたる日本の先史時代の一部を形成しています。この時代は、縄文土器と呼ばれる特徴的な陶器で知られ、その名前はこの時代を特徴づける主要な文化遺産から取られました。縄文時代の遺跡は、日本列島全体に広がり、その中には驚くべき発見が数多く含まれています。
この記事では、縄文時代の遺跡を見ることができるスポットを中心にまとめています。土器や石器の出土はもちろんのこと、動物の骨や、当時の暮らしがわかるものも発掘されています。

キウス周堤墓群(北海道)

周堤墓とは、地面に円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を環状に積み上げて、ドーナツ状の周堤を作り、その中に複数の墓を作ったものです。
キウス周堤墓群には9基の墓が存在し、うちの8基は外径30m以上の巨大なものです。最大のものでは83mにも達し、積み上げられた土は、推定3000㎥にもなると言われています。
周堤墓には、出入口とみられる切れ目があり、ここを通って出入りしていたと考えられています。周堤墓内の土坑墓には、ベンガラという、赤色の顔料が撒かれているものが多く、墓標のようなものが埋められている箇所もあります。
ちなみにキウスとは、アイヌ語の「キ・ウシ」からきており、「たくさんある」という意味だそうです。

住所〒066-0007 北海道千歳市中央

入江・高砂貝塚(北海道)

竪穴建物と、土坑墓による墓域で構成された集落で、貝塚は段丘の縁や、斜面に形成されています。この貝塚は、アサリ、イガイなどの貝類だけでなく、カサゴやマグロの骨や、鹿やイルカの骨、さらには、釣り針や銛などの骨角器も出土しており、縄文時代ならではの、漁や狩りが盛んだったことがうかがえます。
この墓域からは、筋萎縮症にかかった男性の遺骨が発見されており、周囲の人間に介護されながら生活していたことが分かります。
こちらの貝塚は、世界文化遺産に登録されており、展示館では、より詳しくこの地域の歴史について触れられます。

住所〒049-5603 北海道虻田郡洞爺湖町入江190−108
公式サイト入江高砂貝塚

大船遺跡(北海道)

大舟川沿岸の標高30~50mに立地しており、後背景には落葉広葉樹の森が広がっていました。
100棟を超える竪穴建物跡からなる居住域と、大規模な盛土があり、南西には100基以上の土坑群が確認されています。竪穴建物跡は、床を深く彫り込んだ、大型のものが多く、最大で2mを超えるものもあります。
この盛土から、土器や石器、焼土などが出土しており、長期間の祭、儀式が行われていたのがうかがえます。さらに、鯨やオットセイ、マグロなどの骨や、牡蠣などの貝類、クルミやブドウなども出土しており、漁や自然資源の採取も活発だったことが考えられています。

北黄金貝塚公園(北海道)

この集落には、竪穴建物、墓、貝塚、水場遺構など、多種の施設がみられ、貝塚からは、ハマグリ、牡蠣などの貝類の他、マグロ、ヒラメの骨、オットセイ、鯨の骨などが多く発見されており、漁が盛んに行われていたことが分かります。
貝塚と墓域が一体となった祭祀場が発見されており、埋葬人骨を含む墓や、動物儀礼の痕跡が確認されています。また、水場遺構からは、大量の礫石器が、破損した状態で発見されており、石器の破棄に伴った祭祀、儀礼が行われていたと考えられます。
当時の海進、海退への対応や、祭祀、儀礼などの信仰の様子が分かる、重要な遺跡のひとつです。

小牧野遺跡(青森県)

荒川と入内川に挟まれた、標高80~160mに立地しています。
環状列石は、遺構の中で最も高いところに、斜面を平らにして作られていました。三重の環を描くように配置され、その周りを囲むように環状配石や、列石が配置されており、全体で直径55mになります。
環状列石に隣接されている墓域や捨て場を中心に、土器や石器、土偶や動物型土製品、岩板など、祭祀要素の強い遺物が出土しています。三角形岩板に至っては400点以上も出土しており、環状列石を中心に、祭祀、儀礼が行われていたと考えられています。
近くにある小牧野館では、廃校となった小学校を改修し、遺跡について楽しく学べる施設になっています。

三内丸山遺跡(青森県)

沖館川沿岸の、標高約20mの、海岸段丘上に立地しています。
集落には、竪穴建物、掘立柱建物、列状の土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物などが配置されています。膨大な量の土器、石器のほか、多種の魚骨や、動物骨、クルミなども出土しており、自然資源を巧みに使用して、大人数が生活していたと考えられています。
木製品、骨角器、編み籠や、ヒスイ、黒曜石、アスファルトなども多数発見されています。さらに、盛土からは、日本最多となる2000点以上の土偶などが出土しており、長期的な祭祀、儀式が行われていたと思われます。

御所野遺跡(岩手県)

馬淵川沿岸の、標高190~210mに立地し、食料となるサケ、マスが遡上します。
集落の中央には、配石遺構や墓などが造られ、その周囲には、竪穴建物、掘立柱建物、祭祀に使われていた盛土が配置され、外側の東西にも、竪穴建物が密集する集落が形成されていました。
盛土からは、大量の土器や石器、焼かれた鹿、イノシシの骨や、クルミなどのほか、土偶や土製品、石製品などが集中的に出土しており、火を使った祭祀が行われていたと考えられます。さらに、竪穴建物の中には、焼失後に廃棄されたものが発見されており、これらの竪穴建物は、土で覆われた屋根構造だったことが明らかになっています。

伊勢堂岱遺跡(秋田県)

米代川沿岸の、2つの河川に囲まれた、標高42mほどに立地しています。
4つの環状列石を主体に、配石遺構、掘立柱建物跡、土坑墓、貯蔵穴、溝状遺構などが見つかっています。環状列石はいずれも、直径30m以上で、最大は45mにもなります。隣接して4つもの環状列石が確認されている場所は、他にはありません。
周辺からは、土偶、動物型土製品、岩板、石器などが見つかっており、祭祀、儀礼の道具が数多く出土しています。また、環状列石の下部には死者を埋葬した土坑墓があり、共同墓地でありながら、祭祀、儀礼の場所であったと考えられます。
縄文人の世界観や社会構造を復元できる、貴重な遺跡として、国の史跡にも指定されています。

大湯環状列石(秋田県)

大湯川沿岸、標高約180mに立地しており、食料となるサケやマスが捕獲できます。
万座環状列石と、野中堂環状列石の二つの環状列石から成り立っており、いずれも複数の配石遺構を、環状に配置して形成されています。また、それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが、同心円状に配置されています。
環状列石の周辺からは、土偶や土版、動物型土製品、石棒などの、祭祀、儀礼の道具が出土しています。
この二つの環状列石は、両者を関連付けて構築された可能性が高く、夏至の日没の方向とほぼ同じ向きに組石が並べられているそうです。

西ノ前遺跡(山形県)

小国川左岸の、標高72mの段丘上に立地しています。段丘は舌状に張り出しており、その先端に遺跡があります。遺跡の範囲は面積10,500㎡の規模で、縄文時代中期の集落跡であることが判明しています。
この遺跡からは、土壙や柱穴などの遺構や、土器や石器が発見されています。さらに、台地上の西側の水田で大量の遺物が発見され、ここは、土器や石器の捨て場だったと考えられます。また、落ち込み遺構を中心に、土偶が多く出土し、大型土偶である「縄文の女神」がひときわ目立っていました。これは5か所からバラバラに発掘されています。
この遺跡は、町の文化財に認定され、現在は、記念碑と案内看板が設置されています。

宮畑遺跡史跡公園(福島県)

縄文時代中期、後期、晩期の、3つの集落の跡が複合されている遺跡です。この遺跡からは、約40棟の竪穴建物が検出されており、建物遺構の半数から、焼けた痕跡が発見されています。建物の半数が焼かれているという痕跡は、縄文時代中期には他に例がなく、この遺跡の特徴にもなっています。
後期には、新しく移住してきた人による、敷石建物と呼ばれる遺構がいくつかあり、また、出土した土器からは、関東のものと特徴が似ているものがあったことから、この時期の集落は、関東の影響を強く受けていたと考えられています。
晩期には、掘立柱建物が円形に配置されている遺構や、子供の墓と思われる埋甕が見つかっています。

笹山遺跡(新潟県十日町市)

こちらの集落は、縄文中期に始まり、後期に廃絶したと考えられています。
遺構は、竪穴建物13基、炉跡105基、配石遺構1基、土坑1基、埋設土器30基以上が発見されています。直径130mほどの環状、または馬蹄形状に配列されていましたが、廃棄場や墓などの施設跡が発見されておらず、集落の全体像は未だに謎です。
遺物は、土器、石器、原石が出土ぢており、火焔型土器が有名です。石器では、土堀具や、粉砕器などが多く見つかっており、植物資源をメインに生活していた様子がうかがえます。また、小豆やクルミの核、大豆やエゴマの種が見つかっていることから、栽培も行われていたのではないかと考えられています。

馬高・三十稲場遺跡(新潟県長岡市)

明治時代から土器、石器が発掘されている場所で、近藤親子が遺物の採集家として有名です。この親子の発掘調査により、馬高遺跡において、火炎土器や、大型土偶など、貴重な遺物が発見されました。その後も徐々に集落の大きさが解明され、昭和54年に、国指定史跡になりました。
この遺跡からは、火焔型土器のみならず、三角とう土製品や、土版、土偶、石斧や石棒、三脚石器など、多種の遺物が発見されています。また、三十稲場遺跡からは、「三十稲場式土器」という、新潟県後期を代表する土器が出土しており、こちらには、全体に爪で突いたような「刺突文」と言われる文様がつけられています。ここから出土した、蓋型土器には、おこげのようなものが付着しており、実際に使われていたことがうかがわれます。

馬高縄文館(新潟県長岡市)

火焔土器の発見地、「馬高、三十稲場遺跡」に関わる資料を紹介する博物館です。
「馬高遺跡出土品」のような重要文化財のほか、縄文の暮らし、発掘調査のあゆみなども解説しています。テーマや展示物によってゾーンが分かれており、かなり分かりやすく説明されています。
火焔型土器が、展示物の中でも多く、展示されている内の19件が日本遺産に登録されています。
毎週月曜日、年末年始以外は営業しており、観覧料が200円です。高校生以下は無料で観覧でき、将来遺跡研究家になりたい若者たちには嬉しいですね。縄文土器の制作体験や、発掘体験ができるイベントもあり、小さい子供でも楽しめます。

縄文の里・朝日 奥三面歴史交流館(新潟県村上市)

ダムに沈み、廃絶した旧朝日村、奥三面地区の、縄文時代の暮らしに関する展示や、ものづくりが体験できる交流館です。
奥三面集落の縄文時代の土偶が壁一面に飾られ、当時の服装や建物の再現もクオリティが高いものになっています。学校の授業でも子供たちが学びに訪れたり、火起こし体験や、石器づくり、まが玉作りなどが体験できます。食堂も完備されており、旅行客用にお土産も置いてあります。
平成27年には、奥三面の遺跡からの出土品、約1700点が、国指定重要文化財に指定されました。自然のどかな交流館は、大人でも子供でも、体験を通して縄文の魅力を感じることができます。

農と縄文の体験実習館 なじょもん(新潟県津南町)

こちらは、農と縄文を体験できる、体験実習館です。縄文に関してだけでなく、農業や民族、自然など、様々な体験実習ができ、季節ごとに企画展示もされています。
竪穴住居7棟を復元した「縄文ムラ」や、土器や石器の展示、接触が魅力です。
「なじょもん」という名前は、津南町の「なじょも」という方言と、「縄文」をかけ合わせたものだそうで、「なじょも」は、「どうぞ」「どうか」という意味です。「どうか来てください」という、スタッフさんの思いが込められているそうですよ。
周りには広大なひまわり畑や、ブナ林、そば畑などの大自然が広がっており、気持ちの良い空気を吸いながら、縄文時代の歴史を学べます。

長者ケ原遺跡(新潟県糸魚川市)

こちらの遺跡は、国史跡に指定されており、その大きさは東京ドーム3個分に及びます。
この集落跡は、石斧やヒスイ玉の生産、交易の拠点だったことでも知られており、発掘された多くの住居跡や、膨大な出土品によって、遺跡の概要は把握されています。
長者ヶ原遺跡から発掘された土器の中には、地元や周辺地域とは全く異なる形の土器もあり、これらは他の地域から持ち込まれたと考えられています。また、金属のない当時に、石は貴重な資源でした。この遺跡のあった土地では、大地の変化により、様々な種類の石が採れました。かつてこの地の人々は、石の性質を見抜き、交易に生かして栄えたそうです。

尖石・与助尾根遺跡(長野県茅野市)

尖石遺跡は、日本に4つしかない特別史跡に指定されています。与助尾根遺跡とは、同じムラだということで、まとめて呼ばれるようになりました。
この遺跡には、竪穴建物が33棟、炉跡が53か所、貯蔵穴群、埋甕などが発見されています。石器、特に矢じりの出土が少なく、罠で獲物を捕まえたり、黒曜石で交易をしていたムラだと言われています。与助尾根遺跡でも、竪穴建物や、土器、石器が多く出土し、どれも価値の高いものだとされています。
与助尾根遺跡では、6軒のムラが再現されており、尖石地区よりも縄文時代を体感できるようになっています。

茅野市尖石縄文考古館(長野県茅野市)

1955年11月に開館し、所蔵品の増加によって、1979年に移転しました。2000年7月にリニューアルし、現在の名前になっております。
蓼科山麓の周辺の遺跡出土品、八ヶ岳西麓の遺跡出土品を中心に、市内から集められた出土品約3000点を収蔵しています。土鈴づくりの体験や、画像資料の貸出、縄文教室など、様々な方法で縄文文化を広めていっています。
展示物の中では、土偶が有名になっており、「縄文のビーナス」は国宝にもなっています。
「八ヶ岳縄文の里マラソン」や、「尖石縄文まつり」なども考古館周辺で行われており、地域の人々も気軽に縄文について触れられるようになっています。

中ッ原縄文公園(長野県茅野市)

中ツ原遺跡では、200軒以上の竪穴式住居跡、3300余りの柱穴、墓穴、黒曜石の貯蔵穴が見つかっており、出土品の中でも「仮面の女神」と呼ばれる土偶は、国宝に指定されています。
公園内には、出土状況が展示されているほか、柱やお墓の復元などがあり、発掘の成果が間近で観察できます。仮面の女神の発掘場所も再現されており、発掘当時の様子が体感できます。また、3本の柱が目立っていますが、発見された柱穴列に、木柱を再現したものです。
冬の期間は、凍結防止のために、ジオラマとトイレは封鎖されているため、興味のある方は事前にホームページを調べてから行くと良いでしょう。

平出遺跡 縄文の村(長野県塩尻市)

ブドウ畑が広がる桔梗ヶ原に、東西1km、南北300mにわたる広大な遺跡が存在します。その広大さから、かつては日本三大遺跡にも数えられており、当時の様子を復元する、貴重な考古資料とされ、国史跡にも指定されています。
この地に人が住んでいた歴史は、縄文時代から平安時代までと長く、住居跡、出土品も豊富です。江戸時代から発掘が進められ、現在までに290の住居跡、それに伴う土器や石器も見つかっています。茅葺屋根の建物7棟が復元されており、当時の生活が体感できるようになっています。
遺跡公園にはガイダンス棟があり、近くに博物館も建てられています。

井戸尻考古館(長野県諏訪郡)

日本遺産「星降る中部高知の縄文世界」の、構成遺産となっている井戸尻遺跡群から出土した土器、土偶、石器などが展示されています。
展示されている縄文土器は、形や模様が個性的なものが多く、美術品として眺められるのが魅力的です。過去に切手のデザインに起用された土器も展示されており、縄文マニアの方なら一度は訪れてみたい場所です。
井戸尻遺跡は、昭和41年に史跡に認定され、住居を復元した公園などが整備されました。遺跡の東には、昔からの湧き水があり、その景観から、「縄文の泉」と呼ばれています。
土器の文様解読で明らかになった宗教観念や、世界観、神話なども詳しく解説されており、当時の人々の様子が深く知れるものになっています。

真脇遺跡(石川県)

縄文4000年間人が住み続けて反映した集落です。4000年もの間、人が移住せずに暮らせるだけの資源や食料が、この地にはあったことが分かります。
真脇遺跡は、地下水の水位が高く、当時の土器や骨が水没していたため、腐らず状態の良いものが多く発見されています。発掘されたもので特徴的なのは、イルカの骨です。米も野菜もまだ栽培する技術のない当時、彼らは地形の優位でイルカを捕獲し、食料としていました。発掘されたイルカの骨には土器が刺さっているものもあり、この説を裏付けています。
この遺跡は、1989年に史跡に指定され、出土品のうち、219点が、国の重要文化財に指定されました。

若挟三方縄文博物館 DOKIDOKI館(福井県)

平成12年に開館し、現在まで、多くの縄文好きが集う博物館です。
若狭町の鳥浜貝塚の紹介や、北信越地方の縄文土器、鳥浜貝塚の地層の剥ぎ取り断面など、様々な展示が特徴です。外観は土偶のお腹をイメージした丸いフォルムで、館内は杉の森をイメージしたこだわりのデザインです。
ユリ遺跡から出土した丸木舟の再現も貴重で、これを目当てに訪れる方もいるそうです。勾玉や土笛作り、火起こし、土器作り、丸木船の乗船体験も可能で、縄文について、子供でも楽しく感じられる施設になっています。また、縄文学、古環境学についての講演会もあり、貴重な話を聞く機会も設けられています。

金生遺跡(山梨県)

基域を中心に配石遺構がつくられ、祭祀が行われていた遺跡です。石棒や立石を中心に、小さな配石が組み合わさって、巨大な配石遺構がつくられています。
石棒や土偶、石剣など、祭祀に関わる多くの遺物が出土しており、東北や北陸などの土器も発見されています。ツキノワグマや、イノシシ、ニホンカモシカの遺体も出土しており、ほとんどに焼けた痕があることから、これらも祭祀に使われていたと思われています。また、縄文時代にイノシシを飼っていた可能性も指摘されています。
縄文の精神文化が分かる貴重な遺跡として、1983年に国の史跡に指定されています。現在、付近には住居の再現などがあり、公園として整備されています。

釈迦堂遺跡博物館(山梨県)

釈迦堂遺跡では、縄文時代に作られた、全30tにも及ぶ土器、土偶が出土しました。このうちの5,599個もの遺物が重要文化財に指定されており、日本でも有数の出土数を誇っています。
こちらの博物館では、そんな釈迦堂遺跡の出土品を数多く展示しており、当時の生活風景の再現も見ることができます。展示だけでなく、イベントや特別展なども多く、土偶作りでは、作った土偶が持ち帰れます。館内にある、土偶のレプリカのガチャガチャも人気です。特別展で展示されていた「しあわせの女神 どぐうちゃん」は、マスコットのように可愛らしく、見ていて癒されるものでした。
縄文好きの方はもちろん、学生や、夏休みには子供も多く訪れる、人気の博物館です。

上野原遺跡(鹿児島県)

霧島市東部の、標高250mの台地にある遺跡で、ムラや、儀式を行う地として、縄文より文化を築いてきました。
この遺跡では、52軒の竪穴住居跡を中心に、集石や、連穴土坑などの調理施設をもったムラが発見されました。この地の定住化について知る大集落で、住居の埋まり方などに差があることから、ムラがかなり長期的に続いていたことが分かります。
一つの穴に、丸と四角の口をもつ、2個の壺型土器が、完全な形で発見されています。他にも、鉢型土器や、石斧も見つかっており、祭祀や儀式が行われていたと考えられています。
前期、後期に作られたとみられる落とし穴も複数発見されていることから、この地では、狩りが盛んだったと考えられています。




新版・土偶手帖 おもしろ土偶と縄文世界遺産

見た目におもしろい50体の土偶を厳選し、楽しいニックネームとともに紹介して好評だった『にっぽん全国土偶手帖』が、パワーアップして帰ってきました。新版では、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺産群」を巻末で特集。縄文遺跡の楽しみ方とともに、新しく世界遺産となった遺跡群の魅力を、地図や写真を使ってわかりやすく紹介します。…

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