私たちが普段何気なく使っている湯飲みや皿。それらは日本のどこかで焼かれているものかもしれません。
陶磁器は「陶器」と「磁器」の2種類に分類されています。「陶器」は、土器と磁器の中間のものを指し、鉄分が少なく耐熱性に優れています。「磁器」は、透光性があり、光にかざすと透けて見えるのが一番の特徴です。また、吸水性がないので手入れが簡単なのも磁器の強みです。
日本には多くの窯元が今も陶磁器を焼き続けています。地域によって焼き方も完成形も大きく異なり、それぞれの強みも楽しめます。
益子焼|栃木県
江戸時代末期に、大塚啓三郎という男が笠間で修行し、窯を築いたことが起源とされている焼き物です。現在の窯元は約250、陶器店は50店にもなります。東京に近いこともあって、益子焼は鉢や瓶など、日用品としても進化を遂げました。 使われている陶土は、適度な粘り気と高音に耐えられる強度が必要で、乾燥の際にひび割れてもいけない丈夫なものです。製作の際はろくろが主流ですが、石膏で型を抜く技法もあります。乾燥後の素焼きと、模様をつけた後の仕上げで2回も窯に入れる手間のかかるものです。 昭和41年から始まり、100回以上も行われている「益子陶器市」では、50店もの陶器屋とその他600の店舗がテントを連ね、芸術品としての益子焼から、茶碗のような日用品まで販売され、毎年賑わいを見せています。
住所 | 栃木県芳賀郡益子町周辺 |
公式URL | 益子町観光協会 |
瀬戸焼|愛知県
愛知県瀬戸市とその周辺で生産されている陶磁器の総称である瀬戸焼は、日本六古窯という中世から生産が続いている歴史深い焼き物の1つです。 その歴史は古墳時代にも遡り、日本三大古窯の1つとされる「猿投古窯群」が猿投地区から発見されています。その後、瀬戸南部で南山窯などでの灰釉陶器生産が始まり、「瀬戸窯」の成立となりました。 瀬戸焼には灰釉をはじめ、黄瀬戸、織部など多種な釉薬が使われており、様々な形となって民衆に親しまれています。そのため同じ瀬戸焼でも見た目や特徴は多様で、シンプルで重みのある「赤津焼」と、絵画のような装飾専用の「瀬戸染付焼」では見た目も実用性も正反対です。 瀬戸焼が鑑賞できる博物館、美術館も愛知には3か所あります。
住所 | 愛知県瀬戸市 |
公式サイト名 | 瀬戸焼振興協会 |
公式URL | 瀬戸焼振興協会 |
常滑焼|愛知県
愛知県常滑市とその周辺で生産されている炻器である常滑焼は、日本六古窯の1つです。平安時代末期からの歴史を持っていますが、窯跡の数は未だ不明で、学説によると1万は超えるだろうと言われています。 非常に強度の高い炻器で、常滑焼の煉瓦を使用した帝国ホテル旧本館は、関東大震災で倒壊を免れています。鉄分が含まれた粘土は、実は扱いが難しく、陶器では避けられる傾向にあるのですが、常滑焼は逆にそれを利用して独特な赤茶色の陶器を作ることに成功しました。素材だけでなく、「ヨリコづくり」という伝統技法での製作や、粘土の性質を活かした削り、磨きの技法も独特です。 急須の形はパッと浮かぶと思いますが、実はあの形は常滑焼が発祥。お茶切れの良さ、持ちやすさがよく考えられており、職人の気遣いが伝わります。
住所 | 愛知県常滑市 |
公式サイト名 | とこなめ焼協同組合 |
公式URL | とこなめ焼協同組合 |
萬古焼|三重県
江戸時代中期、沼波弄山という桑名の豪商が三重県朝日町日向に窯を開いたことが起源だと言われています。弄山は自分の作品を後世に伝えるため、焼き物に「萬古」「萬古不易」という印を押しました。これが萬古焼の名前の由来です。 萬古焼は形や性質が多種多様で、特徴と言えるものが「萬古」の印くらいしかありません。食器を始め、様々な日用品やから工業製品まで種類は豊富です。 そもそも陶土に使う資源が少ないこの地では、時代の変化に合わせて作品を作ることでその歴史を繋いできました。四日市の大空襲では、萬古焼の工場や倉庫の大半が焼失したものの、終戦後再興に向けて立ち上がる職人も増え、1948年には貿易も再開しています。
住所 | 三重県四日市市 |
公式サイト名 | ばんこの里会館 |
公式URL | ばんこの里会館 |
美濃焼|岐阜県
岐阜県東濃地区にある4つの市にまたがる地域で製作されている陶磁器の総称である美濃焼。その生産拠点は日本最大級を誇っています。 時代は平安に遡り、須恵器から派生したこの焼き物は、16世紀織田信長の経済政策によって規模が大幅に拡大します。「美濃桃山陶」が生産されてからはさらに勢力を増し、一大産地となりました。21世紀からは他地域の生産、安価な輸入製品も増え、その勢いは衰えましたが、今でも「土岐美濃焼まつり」と催しが開催されるなど、その歴史を繋いでいる。 美濃焼は自由な陶芸家が多く、形や色などが個性的で味があるものばかりです。近年では粘土の枯渇による問題がありますが、それを感じさせない多くの作品が今も生産され続けています。
住所 | 岐阜県土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市 |
公式サイト名 | 美濃焼伝統工芸品協同組合 |
公式URL | 美濃焼伝統工芸品協同組合 |
九谷焼|石川県
石川県九谷村で生産されている九谷焼は、日本を代表する色絵陶磁器です。1665年頃、九谷村で陶石が発見されたことで生産が開始されたのが起源だと言われています。この時期に生産されたものは「古九谷」と呼ばれ、理由は判明していませんが約50年で閉窯となっています。しかし、1806年に金沢の春日山窯にて再興されました。青木木米という京都人が窯を指導し、その後も次々と九谷焼のために開窯していきました。現在は寺井町という町が九谷焼の生産のほとんどを占めています。 九谷焼は色絵陶磁器というだけあって、その作品のどれもが鮮やかに模様が描かれているものです。小皿一つとっても職人が心を込めて一枚一枚心を込めて絵を描いています。
住所 | 石川県金沢市、小松市、加賀市、能美市 |
公式サイト名 | 九谷焼協同組合 |
公式URL | 九谷焼協同組合 |
越前焼|福井県
平安時代末期、水瓶やすり鉢を中心に製作が始まり、貿易によって北海道から島根まで幅広く伝えられてきました。産地の規模は北陸最大級で、日本六古窯の1つにもなっています。平成29年には日本遺産にも登録されています。 上薬を使わなくても水漏れしない丈夫な造りが特徴で、磁器や色絵を取り入れないシンプルなデザインが主流です。 実用的すぎるゆえ、明治時代末期から大正にかけて廃業が相次ぎましたが、1970年には福井県の支援もあり、越前陶芸村が建設されました。 北原祐樹、桝田屋光生、岩国英子などが有名な作家です。「越前陶芸まつり」や「越前秋季陶芸会」など、越前焼の並ぶイベントも行われています。
住所 | 福井県丹生郡越前町 |
公式サイト名 | 越前焼 |
公式URL | 越前焼 |
清水焼|京都府
清水坂界隈の窯元で焼かれていたのが発祥の清水焼は、京都の伝統工芸品の1つとなっています。現在では東山、山科、宇治で焼かれているものもまとめて清水焼と称しているそうです。 その様式や技法は自由で、これはかつて京都が各地から職人が集まる場所だったことを意味しています。作品には繊細な色絵がつけられているものが多く、「仁清」や「乾山」の作品は特に美しい色絵が特徴的です。 京都府知事指定伝統工芸品に認証されたものは別で「京焼・清水焼」と呼ばれています。芸術作品としてはもちろん、茶碗や湯飲みなどの日用品としても親しまれています。しかし現在職人や窯元の数は減少しており、大量生産品が増えたことによる低価格化も問題となっています。
住所 | 京都市東山区・山科区 |
赤膚焼|奈良県
奈良の五条山一帯で生産されてきた赤膚焼。現在は奈良県大和群山市に7つの窯元があり、そのうちの「正人窯」は多くの陶芸展や工芸美術展で受賞しています。 五条山は原料となる土を採る場所によって色が変わります。そのため赤膚焼には定義がなく、窯元によって作品の特徴は様々です。名前に赤と入っていますが、作品は赤いものばかりではなく、自由な色や形をしています。「奈良絵」が描かれた豆皿が有名ですが、その他日用品も多種焼かれています。 なかなかどれが赤膚焼か見分けはつきませんが、「古瀬堯三窯」という江戸時代から続く窯元のものには「赤膚山」「赤ハタ」などの刻印があります。窯元の印を入れるところもあるそうです。
住所 | 奈良県奈良市、大和郡山市 |
丹波焼|兵庫県
正式には丹波立杭焼という丹波篠山市今田地区付近で焼かれている陶器のことです。生活雑貨を中心に焼かれ、その歴史は平安時代にまで遡ります。日本六古窯の1つで、日本遺産にも登録されています。 赤茶の肌に浮かぶ自然釉が特徴で、おとなしい雰囲気が現代まで受け継がれています。初期は壺やすり鉢が主流でしたが、18世紀には小堀政一の影響で茶碗や水差しなどの茶器も焼かれるようになりました。 丹波焼を中心に取り扱っている「陶の郷」では、窯元巡り、訪問、陶芸体験、展示やショップの展開まで幅広く丹波焼に触れることができます。特に、陶芸体験は丹波焼の窯元で行えるため、陶芸家から直接教わることができるのが魅力です。
住所 | 兵庫県丹波篠山市今田地区付近 |
信楽焼|滋賀県
狸の置物で有名な日本六古窯の1つである信楽焼。滋賀県甲賀市を中心に鎌倉時代からその伝統は続いています。 信楽の土地は良質な陶土が採取でき、耐火性、可塑性に優れています。そのため、置物のような大きなものから、箸置きのような小さなものまで自在に作品を作ることができるのです。 狸の置物だけでなく、信楽焼は時代のニーズに合わせて焼かれる作品も変化しています。江戸時代には茶壷や仏具、明治には糸取鍋や汽車土瓶、戦時中には手榴弾も作っています。狸の置物は明治初期に産まれたので、意外と歴史は浅い方です。信楽には8月8日に「信楽たぬきの日」という記念日もあるそうです。 現代では、多種多様な食器類や茶器も主流になっており、狸の置物も未だ焼かれ続けています。
住所 | 滋賀県甲賀市信楽 |
公式サイト名 | 信楽町観光協会 |
公式URL | 信楽町観光協会 |
備前焼|岡山県
岡山県備前市を中心に焼かれている陶磁器で、日本六古窯の1つにもなっています。伊部地区でも盛んに焼かれていることから、「伊部焼」とも呼ばれています。この地区では煉瓦造りの煙突が多数見られ、これらは全て窯元のものだそうです。 「邑久古窯跡群」と呼ばれる窯跡が発見され、歴史は古墳時代から続いていると判明しました。現在のような茶褐色のものが焼かれ始めたのは鎌倉時代からで、室町時代には茶道のブームにより大きく発展しました。江戸時代に茶道と共に衰えていきましたが、昭和にその勢いは取り戻されました。ブームを再興させた金重陶陽は人間国宝に認定されています。 赤みの強い作品が特徴で、備前焼は「窯変」によって全て違った模様になります。本革のように使い込むほど味が出るのも魅力です。 10月には「備前焼まつり」が行われ、多くの作品を鑑賞、購入することができます。
住所 | 岡山県備前市周辺 |
公式サイト名 | 協同組合岡山県備前焼陶友会 |
公式URL | 協同組合岡山県備前焼陶友会 |
萩焼|山口県
「一楽二萩三唐津」と謳われ、茶人好みに器を焼いてきた萩市の陶器。長門市のものは「深川萩」と別で呼ばれています。釉薬の調合と使い込みによる変化で世界に1つだけの作品が産まれ、地味で味わい深い特徴が多くのファンを獲得しています。 その歴史は慶長9年から続いており、明治時代に一度衰えかけたものの、休雪が独特の作品を生み出し、中興しました。十代休雪である三輪休和、十一代休雪の三輪壽雪はそれぞれ人間国宝に認定されました。 「水漏れする湯飲み」はご存じでしょうか?萩焼は釉薬に貫入という細かいヒビが入っているのが特徴です。これによって水分は器の内側から表面にまで浸透し、水漏れします。「萩の七化け」と呼ばれ、水漏れは不思議なことに繰り返し使うことで次第になくなっていきます。もちろん、初めから水漏れ防止が施されているものもありますのでご安心ください。
住所 | 山口県萩市 |
公式サイト名 | 萩市観光協会公式サイト |
公式URL | 萩市観光協会公式サイト |
砥部焼|愛媛県
愛媛県砥部町を中心に焼かれている陶磁器。食器、花器を中心に江戸時代から焼かれ続けています。愛媛県の無形文化財にも登録されています。 厚い白磁に酸化コバルト(呉須)で図案が描かれているのが特徴です。他の磁器より頑丈で重みがあり、ヒビも入りにくいことから夫婦喧嘩で投げても割れないという話があり「喧嘩器」とも呼ばれています。また、讃岐うどんの器として多く使われているのもこの砥部焼です。 砥部焼を専門に取り扱っている「炎の里」では、多くの砥部焼窯元が集い、茶碗からマグカップまで様々な種類の陶器の絵付け体験をすることができます。完成品は持ち帰りも可能なので、観光の思い出作りにもピッタリです。
住所 | 愛媛県砥部町砥部町公式ホームページ |
小石原焼|福岡県
自然豊かな小石原地区を中心に焼かれている陶器。1682年に磁器の生産が盛んになり、焼き始めたのが起源だと言われています。 その作り方は独特で、ろくろで器を回しながら刃物やハケで模様をつけています。つけられた規則的な模様は作品に整然さを与え、手頃な作品たちは、日用雑貨として民衆の間で長く愛されてきました。 小石原焼では多くの技法が使われており、「飛び鉋」「刷毛目」「櫛目」「指猫」「流し掛け」「打掛け」などの技が現代まで受け継がれています。1975年にはこれらの伝統が評価され、陶磁器初となる「伝統的工芸品」に認定されました。 現在でも40を超える窯元が存在し、「小石原焼伝統産業会館」では、ろくろ回しや絵付けなどの陶芸体験ができます。
住所 | 福岡県朝倉郡東峰村 |
公式サイト名 | 天空の窯郷 |
公式URL | 天空の窯郷 |
小鹿田焼|大分県
小鹿田皿山地区で焼かれている陶器のことで、機械を使わない作品づくりが現代まで行われているのが有名です。そのまごころ込められた技法は1995年に国の重要無形文化財に認定されるほど。 その歴史は深く、江戸時代に領内の生活雑貨を賄うため焼始めたのが起源だと言われています。しかし、小鹿田で採れる粘土は他の陶土より扱いが難しく、焼くまでに大変時間と手間がかかります。挽く際も独自の技法が用いられ、受け皿に水を溜め、水が受け皿と共に落ちる反動で陶土を挽いています。これは「小鹿田皿山の唐臼」と呼ばれ、「日本の音風景100選」の1つにもなっています。 窯元の技法は後継者のみに受け継がれる一子相伝が主流で、家族で経営している窯元がほとんどだそうです。しかし、熊本地震による被害で陶土の採掘不能、流出が問題になっています。
住所 | 大分県日田市小鹿田皿山地区 |
唐津焼|佐賀県
佐賀県東部、長崎県北部で焼かれている陶器の総称です。特徴も技法も幅広く、日用雑貨、茶器など多種の作品が焼かれています。 「一楽二萩三唐津」と称されるほど名高く、日本の伝統的工芸品にも指定されています。 近世初期から歴史は続いており、窯跡は唐津市域のみならず、広範囲に存在しています。千利休の所持していた茶器の中にも唐津焼の一種があったと言われており、腕の高い窯元が多かったと思われます。現在も50軒ほどの窯元が存在しており、伝統が受け継がれながらも時代と共に進化を遂げています。 唐津焼は14種類あり、「絵唐津」「朝鮮唐津」などそれぞれ名前が付けられています。それぞれ違った味わいがあり、焼かれている作品もそれぞれです。鏡山窯という代表的な窯元では、茶道具、湯飲みなどの茶器が取り揃えられています。見学は不可ですが、窯元で直接作品を買うことはできるようです。
住所 | 佐賀県東部・長崎県北部 |
有田・伊万里焼|佐賀県
佐賀県伊万里市と有田市は隣接していますが、それぞれで焼かれているものは区別して「伊万里焼」「有田焼」と呼ばれています。 豊臣秀吉の朝鮮出兵をきっかけに、朝鮮から多くの陶工が移り、陶器が有田で焼かれ始めたのが起源だと言われています。近代となり、輸送手段が鉄道に切り替わってからは呼び方をそれぞれの地域で区別するようになったそう。 色絵が付けられた鮮やかな作品が多いのが特徴で、それぞれ製造方法などは変わりません。絵皿、壺、花器など多種の作品が焼かれ、装飾品としても日用品としても民衆に親しまれています。中でも「古伊万里」はオールドイマリと呼ばれ世界中にコレクターがいるほどの人気です。 一方で有田焼も軽く丈夫なことから、現代でも多くの人に愛されています。
住所 | 佐賀県伊万里市、佐賀県有田町 |
公式サイト名 | 佐賀県陶磁器工業協同組合 |
公式URL | 佐賀県陶磁器工業協同組合 |
波佐見焼|長崎県
江戸時代から大衆に向けて大量に生産されてきた波佐見焼は、長崎県波佐見町付近で生産されています。初期は陶器が多く焼かれていましたが、波佐見町付近で良質な陶土が発見されたことにより、磁器の生産に切り替わっていきました。 大量生産が売りであっただけあり、中尾上登窯では160メートルもの巨大な窯で焼かれていました。安価に多く売るというスタイルを貫いてきた波佐見焼。当時高価なものだった磁器も「くらわんか碗」が売られ始めてからは、どんどん庶民に普及していきました。 安価でありながら丈夫な作りなのも魅力で、給食用強化磁器食器としても焼かれています。当時「割れにくい」という意味で「ワレニッカ」と呼ばれていたそうです。
住所 | 長崎県東彼杵郡波佐見町 |
公式サイト名 | 波佐見焼振興会 |
公式URL | 波佐見焼振興会 |
三川内焼|長崎県
長崎県佐世保市で生産されている陶磁器で、「平戸焼」とも呼ばれています。1978年には経済産業大臣指定伝統的工芸品にも認定されています。 1598年、藩主の命令で中野窯にて最初の窯入れが行われたことが起源と言われています。1622年には中野に陶土がなくなったため、最終的には三川内に流れ着きました。 白磁に絵が入っているものが有名で、きめ細かな白磁に繊細な色絵が描かれているのが特徴です。14の窯元が伝統を受け継ぎ、絵皿、茶器、壺から置物まで様々な作品を作り続けています。 毎年10月初旬には「陶器市」が開かれ、地元の窯元、商社のテントが立ち並び、50万点以上の作品を販売しています。陶器に関するイベントも行われ、毎年多くの人々で賑わいます。
住所 | 長崎県佐世保市 |
公式サイト名 | みかわち焼 |
公式URL | みかわち焼 |
薩摩焼|鹿児島県
鹿児島県内で焼かれている陶磁器のことで、豪華な色絵付きの「白もん(白薩摩)」と大衆向けの雑貨「黒もん(黒薩摩)」の二種類に分類されています。2002年には国の伝統的工芸品にも認定されている焼き物です。 「白もん」は藩主御用達に焼かれていたもので、金、赤、緑など鮮やかな作品を専門の窯元が製作していました。もともと「苗代川焼」と呼ばれており、薩摩焼とは別のものとして扱われていたそうです。 「黒もん」は大衆向けに大量生産、安価に売買が行われていました。鉄分を多く含む土を使用するため、作品が黒いことが特徴です。 さらに、欧米輸出用に京都で絵付けされたものを「京薩摩」、東京で絵付けされたものを「横浜薩摩」と分類されています。これは、フランスで行われた万博で薩摩焼が評価されたことが由来しています。
住所 | 鹿児島県内 |
公式サイト名 | 薩摩焼 協同組合 |
公式URL | 薩摩焼 協同組合 |
陶芸は生きがいになる (新潮新書)
中年にさしかかった著者が、ふと出会った陶芸教室。まずは週末だけと通ううちに、土いじりの解放感や、自分の手で作る達成感、釉薬の不思議に惹かれていく。そこには、他では得られない心の充足があり、出会いがあり、新しい人生の予感があった……。…